現在と今後について
いつもお世話になっております。蛙鳴蝉噪管理人ちゃるです。この度は蛙鳴蝉噪をご覧いただき誠にありがとうございます。
さて、今回のタイトル「現在と今後について」の事です。
今後、ナガブロの蛙鳴蝉噪については先日書いた通り更新予定はありません。
現在、長野県内の飲食店関係の記事は全て「非公開」設定にしております。(お土産等の買ってきたものは別ですが)これには色々理由がありますが「どこかから全部非公開にしろ」と言われた訳ではありません。私自身の意思で現在非公開設定としております。
頂いたコメントまで一緒に非公開設定になっています。折角コメントいただいた方達に申し訳ありません。ただ、コメントは消えた訳ではないので大事に残しておきたいと思います。
最終的にはこの蛙鳴蝉噪内の記事の半分以上は非公開設定にする予定です。自分に関する事柄、日記、旅行記などは残しておきますが、地域に関する事柄で書いた事は非公開にしていく予定です。更新を完全にストップする時はこちらのブログで宣言を致します。
ただ、記事だけではなく公開質問状の件でもう少しナガブロの成り行きを見たい事があるのでそちらが一段落しない限りはもう少しこのままですね。質問状もそのまま残してます。
現在オーナーからのメールフォームは敢えて閉じております。なにかありましたら、コメント欄に頂きま。すようにお願いいたします。(どうしても個人でやり取りしたい人はメールアドレス入れて下さい。メールアドレスは管理人にしか見えませんのでご安心ください。返信については7日以内に折り返し致します。至急の方は「至急」とタイトル欄に入れて下さい。出来るだけ早く返信するように努力します)
理由はこちらに書きませんが、メールフォームの再設定は今のところ予定しておりません。また、返信について大変遅いと思われると思いますが、現状パソコンで自由になる時間がほとんどなく返事がリアルタイムで返せない状況のため7日間と設定させていただきました。
色々疑問や質問等もあると思います。
書きだしたらきりがありません。たった上の文章を書くだけにすでに3時間を費やしています。
この下に何度も色々書いては消しました。その結果、一行ですむ事に気が付きました。
「地域である必要はない。地域に興味を失いつつある。地域が好きという人達に興味がない。」
ナガブロからの撤退は前々から考えていました。そして公開質問状を出す前にすでに移転の決心はついていました。かりに回答が100%納得のいくものであり、すべてが元通りになったとしてもブログの移転を決心してました。
その土地に住んでいる。その地域に住んでいる。しかし今後はその地域のよい面を見ようとかあれこれ考えず、日常の見たもの、聞いたもの、感じたものを「地域」という足枷を外して書いていきたいと思います。それゆえにアンチ的な発言も増えるでしょう。
でも、そちらの方が本音に近いと思っていただいて結構です。
さて、今日はこれにて眠る事にします。
書く事につかれました。手がつかれたとかでなく、精神的につかれました。
しかしなぁ・・・エクスポートが上手くいきません。夜中、朝方、昼など色々な日に試してますが一向に成功しない。これは本当に困った・・・。最悪記事を捨てて行くしかないかと考えています。
そんなわけで今日は終わりです。
11月1日まとめ(ブログ掲載したもの)
11月1日、ブログ12件更新しました。本日アップした分は下記の通りです。
。 (無題)
一時的に復活しますか。
本町うなよし/(お取り寄せ)
鯉の甘露煮
うちのめし
ナポリタン
コンコースカフェのオムライス
中国料理 福鑫源
つけそばや 壱丁目壱番
アトリエ ド ヒカリヤ
カフェ&キッチン 待夢
まつもとからあげセンター
大量掲載ですみません。今、時間が取れる日がとても限られており、今日は余裕があったのでまとめてストレス発散がてらアップしてみました。多分しばらくまともにこの類のネタは更新しないと思うので、ご興味のある方はゆっくり読んでください^^;
ただ、11月2日も夜中に更新1件する予定です。
あとお知らせ。
「とりあえず蛙鳴蝉噪」にてブログ始めました。二つに分けて見難いと思いますが、おいおい理由を説明しますのでこれからもご興味ある方はどうかよろしくお願いいたします。

オコスナ
。 (無題)
一時的に復活しますか。
本町うなよし/(お取り寄せ)
鯉の甘露煮
うちのめし
ナポリタン
コンコースカフェのオムライス
中国料理 福鑫源
つけそばや 壱丁目壱番
アトリエ ド ヒカリヤ
カフェ&キッチン 待夢
まつもとからあげセンター
大量掲載ですみません。今、時間が取れる日がとても限られており、今日は余裕があったのでまとめてストレス発散がてらアップしてみました。多分しばらくまともにこの類のネタは更新しないと思うので、ご興味のある方はゆっくり読んでください^^;
ただ、11月2日も夜中に更新1件する予定です。
あとお知らせ。
「とりあえず蛙鳴蝉噪」にてブログ始めました。二つに分けて見難いと思いますが、おいおい理由を説明しますのでこれからもご興味ある方はどうかよろしくお願いいたします。

オコスナ
一時的に復活しますか。
サー、今日は休みだ。記事をガンガンあげますよ~。
いや、どうでもいい内容だけど。
あと、なんとなく暇だったんで別のブログも立ち上げてみました★
とりあえず蛙鳴蝉噪
あ、そうそう。明日の夜もドカーンとなんかやるかもだから気が向いたら見てね★
(やらないかもだが・・・)
。
自分で言葉が浮かばず。
団体と書いてるが、市や県や国やもっともっとそれを超えた事も含めて思ふ事。
>「団体とは美しいものだ」と、デミアンは言った。「しかし現在至るところに繁盛してるやつは、ぜんぜん団体ではない。個人個人の相互理解から新たに団体が成立しなければならない。」それはしばらくの間、世界を改造するだろう。いま存在している団体は衆愚人の団体にすぎない。人々はたがいに不安を持ちあっているので、たがいに逃げ、寄りあっている ― 紳士たち同士、労働者たち同士、学者同士! なぜ彼らは不安を持っているのか。人は自分自身の腹が決まっていない場合に限って不安を持つ。彼らは自分自身の内部の未知なるものに対して不安を持つ人間たちばかりの団体だ!彼らはみな、自らの生活の法則がもはや適合しない事、自分たちが古いおきての方に従って暮らしている事、宗教も道徳も何一つ、われわれの必要とするものに適応しない事を感じている。
ヘルマン・ヘッセ 「デミアン」より
>戦う事を人に任せた時点でそれまでの価値はゼロに等しい
ちゃるさんの迷言集(なんだよ、それ・・・)
団体と書いてるが、市や県や国やもっともっとそれを超えた事も含めて思ふ事。
>「団体とは美しいものだ」と、デミアンは言った。「しかし現在至るところに繁盛してるやつは、ぜんぜん団体ではない。個人個人の相互理解から新たに団体が成立しなければならない。」それはしばらくの間、世界を改造するだろう。いま存在している団体は衆愚人の団体にすぎない。人々はたがいに不安を持ちあっているので、たがいに逃げ、寄りあっている ― 紳士たち同士、労働者たち同士、学者同士! なぜ彼らは不安を持っているのか。人は自分自身の腹が決まっていない場合に限って不安を持つ。彼らは自分自身の内部の未知なるものに対して不安を持つ人間たちばかりの団体だ!彼らはみな、自らの生活の法則がもはや適合しない事、自分たちが古いおきての方に従って暮らしている事、宗教も道徳も何一つ、われわれの必要とするものに適応しない事を感じている。
ヘルマン・ヘッセ 「デミアン」より
>戦う事を人に任せた時点でそれまでの価値はゼロに等しい
ちゃるさんの迷言集(なんだよ、それ・・・)
説明責任
書かないと言ったがサラッと書く。
来週の記事につながる・・・・かもしれない。
説明責任
>力や権力をもつ人あるいは企業・行政が、外部の利害関係者(企業であれば顧客など、行政であれば管轄地域の住民など)に、自身の行動について事前・事後に説明する責任のこと。
→はてなキーワード
>説明責任(せつめいせきにん、アカウンタビリティー(Accountability) の日本語訳)とは、政府・企業・団体などの社会に影響力を及ぼす組織で権限を行使する者が、株主や従業員(従業者)といった直接的関係をもつ者だけでなく、消費者、取引業者、銀行、地域住民など、間接的関わりをもつすべての人・組織(ステークホルダー:stakeholder、利害関係者)にその活動や権限行使の予定、内容、結果等の報告をする必要があるとする考えをいう。
→Wikipedia
いや、自分コピペだけでしょ、今の段階で。
これで終わったら「コピペの方が文章が多かった」で終わってしまうわけです。
無料のサービスであっても一定の影響力をもつ人物や組合・団体等が何らかの権限を行使する際は行使する対象(個人・団体・組織等)に対してと、同じサービスを利用するものに対して説明をすべきだと私は考えます。
ただし、この説明責任とは説明をしなくても何ら法的な罰則はない場合が多い訳です。
本当に向上を目指すのであれば隠したりする事なくオープンにするのも一つの方法だと思います。

お茶でも飲みながら考えますかね。
「舟和の芋ようかん」を半額で買ってきたしさっ。
オシマイ。
只今(追記あり)

ブログ、只今お休み中。
来週あたりにはまたアップ出来るかと思います。
追記;
酒も飲みたいと思えないほど日々疲れております。
しかし、そんな中一つの事を時折考えております。
地域コミュニティとはよそ者を排除する事なのかと。
今、何が起きているのかと。
ある方が書いてるブログの件は同じブログを書くものとして
対岸の火事ではないと考えています。
とりあえず、カンガルーさんとビールでも一緒に飲んで落ち着きたいと思います。
雑談
再開を望む
仮に
別の場所で違う形であっても
違う名前であっても。
あなたの方向は間違っていないと私は確信する
しかしその先に必ずしも祝福の日差しが降り注ぐとは限らない
公正な目がなければ「義は偽」となる
誰かにあてたわけでないが誰かにあてたかもしれない
それとも自分か
展覧会の絵
久しぶりに・・・・とても久しぶりに音楽を聞いている。
珍しくムソルグスキーの「展覧会の絵」を引っ張り出した。一体何年眠っていたCDか。
なんだろう、この曲ってこんなにしっくりきたかな・・・。
ぐったり家に帰ってきた。
ぼけーっと聞いていたら少し自分がもどってきた。
こう、どこかしらない国の土地の情景が浮かぶような。それは自分の知らない時代と知らない土地。
明日・あさっては休みだ。少し自分のためにゆっくり過ごそうと思う。。。
http://youtu.be/r9sAvWJftGw
↑皆書いてるけどさ・・・らっぱが・・・らっぱが・・・@@;
一度でいいからカラヤンの演奏を生で聴いてみたかった。
山梨県立美術館の取り組みに思う
今月、山梨県立美術館に行った時、受付で「この美術館、やるな」と思った事があった。入り口に大きな立て看板で一定の条件が揃うと常設展・特別展が無料になるそうだ。
美術館HPによると・・・
・65歳以上の人(県外在住者は常設展のみ)
・障害者手帳持参・介護の者1名
・小学校未満の幼児
・小・中・高・特別支援学校生(土のみ無料)
・11月20日(県民の日で無料)
年1回なりは無料や幼児・65歳以上の人への無料は普通。しかし、土曜限定とはいえ高校生まで無料、更に県内宿泊者割引については「この美術館、やりますな!」と思った。また、自宅に帰って美術館のHPを見ると「年間パスポート」及び「ミュージアム甲斐in券」という県立のいくつかの施設共通の年間観覧券など色々企画されているようだ。
※ミュージアム甲斐・ネットワークについて。
他には割引と異なるが、視覚障害者のためにミレーの作品に書いてある人物像をわかるように点字で形どったり・・・というのもあった。
これら一連の事を通して「福祉が充実してる美術館」のイメージである。
確かに美術館や博物館はネズミーランド(ディズニーとは言わないぞ、私は)とは違ってワイワイガヤガヤな場所ではない。また、公園のように家族でお弁当を広げてノホホ〜ンとくつろぐ場所でもない。この手の施設は「黙って見てあるく」というのが正しいと思う。しかし、その「黙ってみる」という行為の中に「作品を目で見て肌で感じる」という貴重な体験を出来ると思うし、そのような公共施設でのマナーもみにつくのではないか。
美術館や博物館に入るには通常、お金がかかるので子育ての親には中々足を踏み入れずらい場所でもあると思う。しかし、そのきっかけになりえる取り組みがこの山梨県立美術館で行っていると感じた次第だ。
この手の金の絡む事は「県立で金があるから出来るんだ」と言われればそれまでだ。だが、私はこの取り組みは金だけの話ではなく「将来への集客」「教育・文化」「県民の財産の開放」など色々な面を含んでいると思う。
あと、これは初めてみたかもしれない。
>県内宿泊者割引
来館日の前日・当日に山梨県内のホテルや旅館等の宿泊施設をご利用いただいたお客様対象の割引制度です。予約クーポンや宿泊施設の領収書等を窓口でご提示ください。団体料金でご観覧いただけます。 (HPより抜粋)
正直、これで美術館に県外客がどれほど来るのかわからないが面白い取り組みだ。「観光」というものへの姿勢が県からして違うなと。県立だけど民間的な感じもする面白い美術館だね。
この美術館、常設展であるミレーの作品群もさることながら、こういう取り組一つとってもとても面白く感じた日だった。
<関連>
2011年09月11日
「山梨県立美術館/201109山梨日帰り・・・・この時に感じた事です。
美術館HPによると・・・
・65歳以上の人(県外在住者は常設展のみ)
・障害者手帳持参・介護の者1名
・小学校未満の幼児
・小・中・高・特別支援学校生(土のみ無料)
・11月20日(県民の日で無料)
年1回なりは無料や幼児・65歳以上の人への無料は普通。しかし、土曜限定とはいえ高校生まで無料、更に県内宿泊者割引については「この美術館、やりますな!」と思った。また、自宅に帰って美術館のHPを見ると「年間パスポート」及び「ミュージアム甲斐in券」という県立のいくつかの施設共通の年間観覧券など色々企画されているようだ。
※ミュージアム甲斐・ネットワークについて。
他には割引と異なるが、視覚障害者のためにミレーの作品に書いてある人物像をわかるように点字で形どったり・・・というのもあった。
これら一連の事を通して「福祉が充実してる美術館」のイメージである。
確かに美術館や博物館はネズミーランド(ディズニーとは言わないぞ、私は)とは違ってワイワイガヤガヤな場所ではない。また、公園のように家族でお弁当を広げてノホホ〜ンとくつろぐ場所でもない。この手の施設は「黙って見てあるく」というのが正しいと思う。しかし、その「黙ってみる」という行為の中に「作品を目で見て肌で感じる」という貴重な体験を出来ると思うし、そのような公共施設でのマナーもみにつくのではないか。
美術館や博物館に入るには通常、お金がかかるので子育ての親には中々足を踏み入れずらい場所でもあると思う。しかし、そのきっかけになりえる取り組みがこの山梨県立美術館で行っていると感じた次第だ。
この手の金の絡む事は「県立で金があるから出来るんだ」と言われればそれまでだ。だが、私はこの取り組みは金だけの話ではなく「将来への集客」「教育・文化」「県民の財産の開放」など色々な面を含んでいると思う。
あと、これは初めてみたかもしれない。
>県内宿泊者割引
来館日の前日・当日に山梨県内のホテルや旅館等の宿泊施設をご利用いただいたお客様対象の割引制度です。予約クーポンや宿泊施設の領収書等を窓口でご提示ください。団体料金でご観覧いただけます。 (HPより抜粋)
正直、これで美術館に県外客がどれほど来るのかわからないが面白い取り組みだ。「観光」というものへの姿勢が県からして違うなと。県立だけど民間的な感じもする面白い美術館だね。
この美術館、常設展であるミレーの作品群もさることながら、こういう取り組一つとってもとても面白く感じた日だった。
<関連>
2011年09月11日
「山梨県立美術館/201109山梨日帰り・・・・この時に感じた事です。
予約電話
今日もダラダラ文句を書いてみよう!
そういうのが嫌いな人はスルーしてね★
最近「予約電話」「問い合わせ電話」でちょっと思う事があった。
問い合わせ電話については先日「共同購入サイト」内で触れたのでこちらでは書かないが、共通して思う事はある。
今回の例は美容室に予約電話を入れました。美容室というのは直近で感じた応対が偶然美容室だったことであり、そしてもう一つは「美容室」だからこそ思う事と大きく分けて二つの事を書こうと思う。
美容室に予約電話をした。
「ありがとうございます○○です」
「ちゃる(名字)と申します。カットとパーマの予約をお願いしたいのですが」
「はじめてですか」
「いいえ、3回目です」
「いつがいいですか」
「最短であいてる日があれば・・・」
「少々お待ち下さい」
ガサガサゴトガサ・・・カチャコトッ・・・・(保留せずに音が丸聞え)
「お待たせしました●日の●時でしたらあいてますが」
「では○日○時でおねがしいます」
「では、お名前お願いします」
「ちゃるです」(最初に名乗っただろう・・・)
「あ、フルネームお願いします」
「ちゃる(本名フルネーム)」です。(だったら最初から「フルネーム」って言ってくれると親切だと思うのだけど・・・)
「わかりました。では○日お待ちしてます。失礼します」
会話終了。
(あ、いや、あんたの名前は・・・?人に名前聞いて名乗らないのかよ。。。)

少々残念に思いつつ電話を切った。
このお店、実はネットでかなり評判がよい。また、訪れるきっかけになったのは別々の方に「とても丁寧で感じがよい。松本でもトップクラスでないか」と紹介されたお店でした。そして、今回3回目の予約電話になりますが、電話については最初の1回以外は保留にしてないですね。それも前回は結構待たされた覚えがある。それも店内の「ありがとうございました~」とかが丸聞えであった。
だが、店の接客自体は悪くない。でも、「丁寧で感じがよい」といのは店に行けばわからなくもない。しかし予約電話では初めての電話の時からこの店のよさはなんら感じられないと毎回思う。
他人の評判がなければ通う事もなかったかもしれない。
何故「美容室」なのかですが、「美しい」って字が入ってますよね。まぁ、「ヘアーサロン」なんて名前なら確かに漢字に「美」という文字は入ってない。しかしスタッフの一部の方は美容師・理容師等の資格をお持ちであろう。ま、これは「技術」の資格だけどね。
誰しもでないけれど、女性の多くは美容室に「綺麗になりたい、気分転換したい」とか何かしら思うのでは?綺麗というのはハードとソフトがあると思う。カットは「表面」の綺麗になる技術を求めるものだが、お店全体は電話対応や気遣い等が全体の印象として残っていく。
ま、2000円以下のカットスタジオもあるからね、そういう早い安いというのもありだ。いや、ある意味私は大賛成である。(プロの人から言わせればあんなところ駄目という人もいるけど)
一度急ぎで店舗に飛び込みで入った事がある。ちょっとタイプの違う店で2度目の来店はなかったが、仕上がりは総じて悪くなかったし、なにより丁寧な一生懸命な接客、また聞えてきた予約電話らしき応対もテキパキとしてて「きちんとスタッフの教育をしている」と感じた。ただ、なんとなくキャラクターがちょっと合わなかったんだ、残念ながら。いい人だったのだけど。。。
実家に戻っていつもの美容室に電話をするとどこかの大企業に電話をしたかのような気になる。当然最初に名字を名乗り、保留はもちろん、そして敬語も綺麗。復唱や話すタイミングもよい。そして最後に自分の名前フルネームと「お気をつけてお越しください」と必ず添えてくれる。特別に金額が高い店ではない。大体周囲と同じ相場位の店。でもね、このような応対されると単純な自分は「シャンとして訪れよう」「ちょっと素敵なところに行く気分」になる。美容室に行くのが楽しみになる。
逆に「・・・(微妙)」な電話応対だと必要に迫られていく気持ちが自分を支配する。なので「行くのカッタルイ、面倒、我慢大会」的になってしまう。または行った事がない店でも「不安」になってキャンセルを入れる事もある。
いや、実際にはお店に行けば素敵な人達が沢山いる事も実際多い。しかし「この店ハズレかもしれない・・・」と思う時点で数千円を見ず知らずの店に出す気持ちどんどん無くなってしまう。
そう、私はとてもとても単純な人間なのだ。
そしてわがままな人間である。
値段以上の事を求めてるのかもしれない。

先日、飲食店へ予約電話をした時に「○○(お店の名前)△△でございます(名字)」と名乗った個人のイタリアンがあった。もう、この最初の名前を名乗ってくれた時点で安心できた。何故なら私は予約電話を入れるのだ。だが、予約をこちらが入れたのに入ってないトラブルというのが世の中にはある。その時、「誰に何を話したか」が重要になる。無駄足を踏まないためにも電話で話してる担当の名前は把握しておきたい。まぁ、名前なくてもそうそう困らんけどね。でも、名乗りがあった方が安心感はあるよ、やっぱり。きちんとした対応という印象にもなるし。
あのイタリアン、味も中々だったし、厨房のシェフも「ありがとうございました」と声かけしれくれた。どこにいるか見えなかったけど(爆)そういう事が嬉しい単純な人間の文句垂れ日でした。
そういうのが嫌いな人はスルーしてね★
最近「予約電話」「問い合わせ電話」でちょっと思う事があった。
問い合わせ電話については先日「共同購入サイト」内で触れたのでこちらでは書かないが、共通して思う事はある。
今回の例は美容室に予約電話を入れました。美容室というのは直近で感じた応対が偶然美容室だったことであり、そしてもう一つは「美容室」だからこそ思う事と大きく分けて二つの事を書こうと思う。
美容室に予約電話をした。
「ありがとうございます○○です」
「ちゃる(名字)と申します。カットとパーマの予約をお願いしたいのですが」
「はじめてですか」
「いいえ、3回目です」
「いつがいいですか」
「最短であいてる日があれば・・・」
「少々お待ち下さい」
ガサガサゴトガサ・・・カチャコトッ・・・・(保留せずに音が丸聞え)
「お待たせしました●日の●時でしたらあいてますが」
「では○日○時でおねがしいます」
「では、お名前お願いします」
「ちゃるです」(最初に名乗っただろう・・・)
「あ、フルネームお願いします」
「ちゃる(本名フルネーム)」です。(だったら最初から「フルネーム」って言ってくれると親切だと思うのだけど・・・)
「わかりました。では○日お待ちしてます。失礼します」
会話終了。
(あ、いや、あんたの名前は・・・?人に名前聞いて名乗らないのかよ。。。)

少々残念に思いつつ電話を切った。
このお店、実はネットでかなり評判がよい。また、訪れるきっかけになったのは別々の方に「とても丁寧で感じがよい。松本でもトップクラスでないか」と紹介されたお店でした。そして、今回3回目の予約電話になりますが、電話については最初の1回以外は保留にしてないですね。それも前回は結構待たされた覚えがある。それも店内の「ありがとうございました~」とかが丸聞えであった。
だが、店の接客自体は悪くない。でも、「丁寧で感じがよい」といのは店に行けばわからなくもない。しかし予約電話では初めての電話の時からこの店のよさはなんら感じられないと毎回思う。
他人の評判がなければ通う事もなかったかもしれない。
何故「美容室」なのかですが、「美しい」って字が入ってますよね。まぁ、「ヘアーサロン」なんて名前なら確かに漢字に「美」という文字は入ってない。しかしスタッフの一部の方は美容師・理容師等の資格をお持ちであろう。ま、これは「技術」の資格だけどね。
誰しもでないけれど、女性の多くは美容室に「綺麗になりたい、気分転換したい」とか何かしら思うのでは?綺麗というのはハードとソフトがあると思う。カットは「表面」の綺麗になる技術を求めるものだが、お店全体は電話対応や気遣い等が全体の印象として残っていく。
ま、2000円以下のカットスタジオもあるからね、そういう早い安いというのもありだ。いや、ある意味私は大賛成である。(プロの人から言わせればあんなところ駄目という人もいるけど)
一度急ぎで店舗に飛び込みで入った事がある。ちょっとタイプの違う店で2度目の来店はなかったが、仕上がりは総じて悪くなかったし、なにより丁寧な一生懸命な接客、また聞えてきた予約電話らしき応対もテキパキとしてて「きちんとスタッフの教育をしている」と感じた。ただ、なんとなくキャラクターがちょっと合わなかったんだ、残念ながら。いい人だったのだけど。。。
実家に戻っていつもの美容室に電話をするとどこかの大企業に電話をしたかのような気になる。当然最初に名字を名乗り、保留はもちろん、そして敬語も綺麗。復唱や話すタイミングもよい。そして最後に自分の名前フルネームと「お気をつけてお越しください」と必ず添えてくれる。特別に金額が高い店ではない。大体周囲と同じ相場位の店。でもね、このような応対されると単純な自分は「シャンとして訪れよう」「ちょっと素敵なところに行く気分」になる。美容室に行くのが楽しみになる。
逆に「・・・(微妙)」な電話応対だと必要に迫られていく気持ちが自分を支配する。なので「行くのカッタルイ、面倒、我慢大会」的になってしまう。または行った事がない店でも「不安」になってキャンセルを入れる事もある。
いや、実際にはお店に行けば素敵な人達が沢山いる事も実際多い。しかし「この店ハズレかもしれない・・・」と思う時点で数千円を見ず知らずの店に出す気持ちどんどん無くなってしまう。
そう、私はとてもとても単純な人間なのだ。
そしてわがままな人間である。
値段以上の事を求めてるのかもしれない。

先日、飲食店へ予約電話をした時に「○○(お店の名前)△△でございます(名字)」と名乗った個人のイタリアンがあった。もう、この最初の名前を名乗ってくれた時点で安心できた。何故なら私は予約電話を入れるのだ。だが、予約をこちらが入れたのに入ってないトラブルというのが世の中にはある。その時、「誰に何を話したか」が重要になる。無駄足を踏まないためにも電話で話してる担当の名前は把握しておきたい。まぁ、名前なくてもそうそう困らんけどね。でも、名乗りがあった方が安心感はあるよ、やっぱり。きちんとした対応という印象にもなるし。
あのイタリアン、味も中々だったし、厨房のシェフも「ありがとうございました」と声かけしれくれた。どこにいるか見えなかったけど(爆)そういう事が嬉しい単純な人間の文句垂れ日でした。
共同購入サイト
「やっとでたー!やっと来たよ、松本!!」と先日1人で騒いだのが「ポンポンカエル」という共同購入サイトの松本市内のお店が商品になっていた。
まぁ、長野県限定の共同購入サイトですね。購入側の仕組みはボンパレやグルーポン等と一緒。
※ちなみにクーポン共同購入サイトとは事前にチケットを買う人が一定人数以上になれば割引サービスを受けれる事ですかね。
例えば「ランチ1000円のセット→事前に購入すれば半額500円」というクーポンが出たとします。そうしたらサイトに申しこんで先払い、そしてその購入済みの画面を携帯なり紙なりを見せればランチが食べれるというものです。または10人以上買うなら1500円の品を750円にしますという商品等もあります。
要は一定数がさばけるのを条件にサービスを値引きしますよと私は思っています。
このポンポンカエルは長野市だったかな、「月刊ほっとパル」というのを作ってる会社。とはいえ・・・松本の私的にはどんな会社か全然知らないのでちょっと不安もあるのですが、ずっとメルマガはチェックしてたり。あと、何人かのブログで「買った、使った」的な話を見聞きして大丈夫そうだろうと松本市内の飲食店クーポンを今回購入しました。
しかしですね・・・クーポンサイトもよい事ばかりとはいえません。呆れた話もあります。
これは幸い購入前の話なのですが先日体験した事です。どこのサイトかは書きません。お店名も場所も伏せます。聞きたければ個人的に願います。(この店、前から一度訪れてみたいと思ってたのですが)
お店のクーポンがありました。「デザート通常価格の半額」という内容。ただ、今回はあまり使った事のないクーポンサイト、そして利用規約でわからなかった点が2点ありお店に直接電話をしました。内容は「デザートクーポンを使う際は予約が必要か」「ランチタイムでもデザートクーポンは使えるのか」の2点です。そして店の回答は
「企画は運営会社が立てたもの。お金は運営会社が500円、お客が500円払うシステムなので私はよくわからない。店はお金をもらうだけなので・・・。ただ、クーポンサイトからこのような話を持ちかけられただけでして・・・」
この人じゃ話にならないと判断し、私から「今回の問い合わせでわかる方はいついらっしゃいますか?」と尋ねるも「私しかいないと思いますが、うちもわからないんです・・・」と「わからない」「クーポンサイトが・・・」と困ったように繰り返すだけです。いやさ、私が聞きたいのはあんたの店の割引クーポンの事を聞いてるんだよって。単に「デザートクーポンを使う際は予約が必要か」/「ランチタイムでも使えるのか」と聞いてるのよ。その挙句が「ランチは座れないと困るので予約をおねがいしたい」といいだす始末。そもそも「誰がランチに行くと断言したのか」と怒鳴りたくなるも、ぐっと抑える。そして最後は「検討します」と言って電話を切ったのだが。。。これだけの問い合わせに5分以上はかかってます。。。
問題点は「お店がクーポンサイトをまるで理解してない」という点ですね。「自分は何もしなくてもクーポンサイトがお客を呼んでくれてお金も入る」と思った結果だと私は感じました。
しかし、この会社の営業も営業だと呆れた次第です。ただ、これについては運営会社に問い合わせて解決済み。まぁ、時間的にお店に事実関係は確認していない可能性がありますが、(夜に出して翌日の朝9時台に回答メールが届いたから)回答としては普通かな。ただ、私メールの最後に「今後このような問い合わせをする場合、どこに問い合わせればいいか教えてもらえると助かります」と書いたのだが、それについての回答はないのが残念ですね。まぁ、お礼のメールは出したけど、所詮ローカルか・・・(苦笑)
このお店、実は前々から一度訪れてみたかったんです。しかし今後訪れる事はとても難しいと感じた電話対応でした。それもそこそこお値段を取る店での対応です。ジャージとかでフラッと訪れる感じの店ではないですね、一つ言えるのは。
他の方のブログの情報を見聞きして思う事は「店も両極端」という事です。
・クーポンサイトのクーポンを携帯で見せても店員が意味をわからず。すごく待たされた
・1カ月以上も前に使ってるのに『使用前』クーポンとして画面に出てる店もまだある。(要は印刷して持っていけばもう一回タダ飯がくえるわけだ
・サービス提供内容の写真と料理が違った(有名なのは正月のグルーPOんのおせち事件ですが、あそこまで酷いのは別として微妙な料理という店もあるそうです。)
・旅館関係などは「接客がぞんざい過ぎる。部屋が写真とまるで違う」など
まぁ、店も客の使い捨て位にしか考えてない店も事実あるという事ですかね。しかし半額といえども最低限、半額のサービスなりは受けたいと思いますけどね。。。購入する以上は「所詮半額」位の心の余裕はないといけないとは思います。
しかし、悪い話ばかりでもない。金額以上のサービスに驚くお店もあるわけです。こういうい店は残念ながら自分の好みでなかったとしても、やはり印象には残ります。情報がマッチすれば他人にすすめたりしますよね。そもそも店も「まずは店を知ってください」という宣伝を兼ねてクーポンサイトに店は申し込んだのだろうけどね。そういう店ばかりだとよいのですが…ね。(今のところハズレはないね)
この手の営業をしてるという人からまた聞きで聞いたのですが、クーポンサイトをよく思ってない経営者も多いとか?そりゃそうでしょう。しかし客が来ないのをクーポンサイトのせいにするのはいかがなものかと思います。何でもかんでも安売りにするのは確かにどうかと思うが、店側の正当な努力(賃金トラブルとかなくね)の範囲で安くする店を非難するのはおかしな話だと思う。むしろ、「うちは安くしなくても口コミで入るんだ!」位の胸を張れっていいたい。
ま、色々とあるんですね。。。
しかし長文になりました。すみません。ここまで読んでくれた人どうもありがとうございました。
話はこれでおしまいです。
デハデハ。
雑談
正義を持っている人に正義は降りてこない。
私はまた1人、年齢によって夢の壁を断たれた人の知らせを受けた。
私はあなたに合格してほしかったと思った。
考え方がまるで違っても、私ははじめて「正義」という言葉を垣間見た人だからだ。
8月は嫌いだ。いつもこんなことばかりやってくる。
天才は神が与えた才能なのか、それとも遺伝子の中で引き継がれ培われた努力なのか。
ごはんのうた
あのさ・・・こっちの人って「ごはんのうた」って歌わないのだろうか?
「線路は続くよどこまでも」に合わせて歌うやつ。子供会のキャンプの時とかに歌わされたけど。(学校ではうたわされなかったな)
まぁ、あれこれ書くより聞いてもらった方が早いので一応2つ用意しました。歌詞は一緒です。歌ってる雰囲気は全然違うけど。。。
ま、この場合、自分は冒頭に「1と2と3と4と~ごはんだごはんだ」って数字の部分に手拍子入るし、一番最後に「いただきま~す!」って叫ぶ訳です。
ちなみに「ごちそうさまのうた」もあります。これは動画とか見つけれなくて・・・。曲も何の曲に合わせてるかわからないんですよね、ンー。。。まぁ、歌詞だけ。
「あ (と) い(と) う(と) え(と)美味しいご飯がすみました。食とうさんよありがとう ごちそうさまでした~!」
そして一斉に片づけに入るわけです。
ちなみにふと文字の「あいうえお」は声を大きくですね、そして(と)については小さくですかね。
ま、そんなところです。

おまけ
・その1 ちょっとお上品だけどノリは近い・・・「ごはんのうた」
・その2 やる気のない「ごはんのうた」
でも、気持ちわかります。疲れきって歌どころでない気持ちってんですかね・・・。風は全然爽やかじゃなさそうだし、心も重そうですな・・・。
しかし、大の大人になってこれを見本で歌わなきゃいけない立場になると思いませんでした。それも超ハイテンションでやるわけですよ、見本を。
ま、もう、10数年前の話ですけどね・・・。
デハデハ。
「線路は続くよどこまでも」に合わせて歌うやつ。子供会のキャンプの時とかに歌わされたけど。(学校ではうたわされなかったな)
まぁ、あれこれ書くより聞いてもらった方が早いので一応2つ用意しました。歌詞は一緒です。歌ってる雰囲気は全然違うけど。。。
ま、この場合、自分は冒頭に「1と2と3と4と~ごはんだごはんだ」って数字の部分に手拍子入るし、一番最後に「いただきま~す!」って叫ぶ訳です。
ちなみに「ごちそうさまのうた」もあります。これは動画とか見つけれなくて・・・。曲も何の曲に合わせてるかわからないんですよね、ンー。。。まぁ、歌詞だけ。
「あ (と) い(と) う(と) え(と)美味しいご飯がすみました。食とうさんよありがとう ごちそうさまでした~!」
そして一斉に片づけに入るわけです。
ちなみにふと文字の「あいうえお」は声を大きくですね、そして(と)については小さくですかね。
ま、そんなところです。

おまけ
・その1 ちょっとお上品だけどノリは近い・・・「ごはんのうた」
・その2 やる気のない「ごはんのうた」
でも、気持ちわかります。疲れきって歌どころでない気持ちってんですかね・・・。風は全然爽やかじゃなさそうだし、心も重そうですな・・・。
しかし、大の大人になってこれを見本で歌わなきゃいけない立場になると思いませんでした。それも超ハイテンションでやるわけですよ、見本を。
ま、もう、10数年前の話ですけどね・・・。
デハデハ。
天気
今日、夜中から朝方にかけて雨が降ったようだが・・・・丸一日降りつづく雨ではなかった。空は分厚く黒い雲が留まっているので午後にでも降りそうだけどね。
今年の夏、ウロウロしてて思うのは河原の草木や稲の背丈が低いなと思う。水が少ないんだろうね。家の近くの河原を歩いてても、毎年この時期は草がボーボーの筈が今年は・・・草の背丈が短いどころか枯れている草も垣間見える。こんなに雨が少なくて大丈夫なのだろうかと不安になる。
かといって、1年分の雨がまとめてやってくる地域もある。なんともまぁ・・・。水害がないだけありがたいと思わなければいけないね。
大昔なら今頃「日照り」なんて状態なのかもしれない。いまは水道をひねれば水がジャーと出て来るから、そう簡単に「水不足」なんてのはないだろうけど、大昔であれば日照り・飢饉・一揆なんていうのはこんな風に雨が少ない年に起きていたのではないだろうか。

なんでも程程がいいよね、うん。
簡易包装
久しぶりに飲みに出た。その後、ホットコーヒーが飲みたくなりマックへ入店。滅多にしないテイクアウトを軽い気持ちで頼んだ。

紙の手提げ袋/紙袋各2(ホットコーヒーとチーズバーガー別々に入ってた)/紙ナプキン1枚/ハンバーガーの包み紙1枚・ハンバーガー・ホットコーヒーとその蓋(砂糖とミルクは断った)
会計はチーズバーガー(100円)+ホットコーヒー(140円)=240円しか払ってないのにご丁寧なデパート真っ青の個別包装(爆)
きっとどこのファーストフードもテイクアウトってこんな感じだと思うけど。。。こんなに丁寧にする必要ってあるのかなって。まず思ったのはハンバーガーとホットコーヒーは同じ一つの紙袋じゃ駄目だったのか?冷たいものなら別の袋になるだろうけどね。更に二つの紙袋を入れるための手提げの紙袋。たった二つの片手で持てるサイズに紙袋3つねぇ・・・。
ただ、手提げの紙袋については私が悪い。カウンターで店員が何か聞いてきたのだが、よく聞こえなくて「はい」と適当に答えたら手提げの紙袋に入れてくれた。一瞬驚いたが店は数名並んでおり、流れを止めるのはどうかと考えてそのまま受け取って退店した。あの時ちゃんと聞き直せばよかったな・・・と少し後悔。それは店員の手間とエコという面でよぎった。別に袋を断たら1円引きなんて聞いた事がないからね、ファーストフードでは。そう考えると「もらえるものはもらっとけ」とも思えるけど。
簡易包装、袋持参、エコなんて叫ばれて早10年以上はたつ。ただ、実際にレジ袋削減等の言葉や定着してきたのはここ5年位だろうか。しかし実際は「本当の意味での定着」はまだまだだよね。もし、簡易包装の意味や意識が世の中に浸透していれば今回の写真のようにこの量で紙袋をこんなに使うとは考えにくい。もし、環境への意識が浸透していれば企業が真っ先に紙袋を減らすであろう。過剰包装は費用、人件費の無駄でもあるのだから。
→容器包装での取り組み・・・マクドナルドHP
難しいんだよね・・・売る側からすると。私は販売の現場を離れて数年たつけど、未だに「全包装=丁寧」とうのが成り立っていると思う。昔よりははるかに減ったとは思うが、時々お店で見てて思う。また、お店側も色々あるんだよ。「苦情」の問題。要は簡易包装すぎても苦情がくる。その人の基準だからね、包装や袋詰めの基準って。全包装しておけば間違いないけどさ・・・。(購入者が人に差し上げる。そうするとその送り先から「包装が簡易でお店の良識を疑う」なんて言われるわけ。これは未だにそういう苦情がたまに入ってくるとデパートに勤めてる友達が言っていた。私は幸い受けた事がなかったけどね・・・)
単に一つ一つ確認すればいいと思われるかもしれない。しかし、実際は慣れた人なら確認するより包装や袋詰した方が早いケースは多々ある。例えば今回みたくファーストフードで紙袋に入れるのなんかはまさしくその一つではないかと思う。
今年の夏は「節電」というキーワードにエコグッズが売れているという。どうも端的だね、日本人は。「節電」ということで電気を抑えるために物を買い揃えて無駄を出す。確かに今年の最優先課題の一つが「節電」であるのは間違いないが原子力だって環境問題の一つだ。ピンポイントで騒ぐのではなく「環境問題の大きなくくりの一つ」として考えていく発想とか取り組にはなかなかつながらない・・・よね。
しかし久しぶりの飲んで帰ってきてこんな話を書いてる自分って単なる「飲んだら嫌な人:説教する人」の部類だな。間違いなく(汗)
風呂入って寝る。サイナラ><
紙の手提げ袋/紙袋各2(ホットコーヒーとチーズバーガー別々に入ってた)/紙ナプキン1枚/ハンバーガーの包み紙1枚・ハンバーガー・ホットコーヒーとその蓋(砂糖とミルクは断った)
会計はチーズバーガー(100円)+ホットコーヒー(140円)=240円しか払ってないのにご丁寧なデパート真っ青の個別包装(爆)
きっとどこのファーストフードもテイクアウトってこんな感じだと思うけど。。。こんなに丁寧にする必要ってあるのかなって。まず思ったのはハンバーガーとホットコーヒーは同じ一つの紙袋じゃ駄目だったのか?冷たいものなら別の袋になるだろうけどね。更に二つの紙袋を入れるための手提げの紙袋。たった二つの片手で持てるサイズに紙袋3つねぇ・・・。
ただ、手提げの紙袋については私が悪い。カウンターで店員が何か聞いてきたのだが、よく聞こえなくて「はい」と適当に答えたら手提げの紙袋に入れてくれた。一瞬驚いたが店は数名並んでおり、流れを止めるのはどうかと考えてそのまま受け取って退店した。あの時ちゃんと聞き直せばよかったな・・・と少し後悔。それは店員の手間とエコという面でよぎった。別に袋を断たら1円引きなんて聞いた事がないからね、ファーストフードでは。そう考えると「もらえるものはもらっとけ」とも思えるけど。
簡易包装、袋持参、エコなんて叫ばれて早10年以上はたつ。ただ、実際にレジ袋削減等の言葉や定着してきたのはここ5年位だろうか。しかし実際は「本当の意味での定着」はまだまだだよね。もし、簡易包装の意味や意識が世の中に浸透していれば今回の写真のようにこの量で紙袋をこんなに使うとは考えにくい。もし、環境への意識が浸透していれば企業が真っ先に紙袋を減らすであろう。過剰包装は費用、人件費の無駄でもあるのだから。
→容器包装での取り組み・・・マクドナルドHP
難しいんだよね・・・売る側からすると。私は販売の現場を離れて数年たつけど、未だに「全包装=丁寧」とうのが成り立っていると思う。昔よりははるかに減ったとは思うが、時々お店で見てて思う。また、お店側も色々あるんだよ。「苦情」の問題。要は簡易包装すぎても苦情がくる。その人の基準だからね、包装や袋詰めの基準って。全包装しておけば間違いないけどさ・・・。(購入者が人に差し上げる。そうするとその送り先から「包装が簡易でお店の良識を疑う」なんて言われるわけ。これは未だにそういう苦情がたまに入ってくるとデパートに勤めてる友達が言っていた。私は幸い受けた事がなかったけどね・・・)
単に一つ一つ確認すればいいと思われるかもしれない。しかし、実際は慣れた人なら確認するより包装や袋詰した方が早いケースは多々ある。例えば今回みたくファーストフードで紙袋に入れるのなんかはまさしくその一つではないかと思う。
今年の夏は「節電」というキーワードにエコグッズが売れているという。どうも端的だね、日本人は。「節電」ということで電気を抑えるために物を買い揃えて無駄を出す。確かに今年の最優先課題の一つが「節電」であるのは間違いないが原子力だって環境問題の一つだ。ピンポイントで騒ぐのではなく「環境問題の大きなくくりの一つ」として考えていく発想とか取り組にはなかなかつながらない・・・よね。
しかし久しぶりの飲んで帰ってきてこんな話を書いてる自分って単なる「飲んだら嫌な人:説教する人」の部類だな。間違いなく(汗)
風呂入って寝る。サイナラ><
「しょうしゃ」
これから書く事は表現として不適切なことも多分に含むかもしれないし、差別と感じる人もいるかもしれない。「身体的障害の有無」で人をわけなくてはいけないからだ。
だが話を進める上でどうしても必要だと判断した事を御理解いただきたい。
では本題に入ろう。
時期も場所も伏せる。
見知らぬ人同士の会話が耳に入った。
そのお母さんには二人の子供がいる。1人が小学生の男の子、1人が高校生。
上の子は健常者であるが下の子は親自ら「障害を持つ子供」と親が語っている。今回の主人公はその障害を持つ息子が主人公だ。
上記のお母さんとある人は障害を持つ子供に対しての学校教育について語っていたようだ。その中で「健常者と障害のあるお子さんが一緒に学ぶ事はいじめもありうる。その時、学校は出来る限りの対処はするが、完全ではない」的な話があったみたいである。
また、息子が「健常者が通う普通の学校に通っている」事。ただしその学校に通わせるための条件として毎日「送り迎え必須」他いくつか条件を提示されたようである。
上記の伏線の流れ後、話は下の息子がが毎日イジメにあっているという話になった。服が汚れて帰ってくる。暗い顔をして帰ってくる等兆候はあったらしい。しかし子供は何も言わない。親も敢えて口にせず様子を見ていた。
ある日の事だ、息子の送り迎えで親が用事があり、上の子が迎えに行った。丁度お迎えの時間頃、上の子が1本の電話をかけてきた。「弟がいじめれている。『しょうしゃ』とののしられている。どうすればいいか」的な内容が泣きながらかかってきたという。。そしてお母さんは答えた。「ほっときなさい。子供には子供の世界がある。学校の門の中は子供の世界だ。」と答える。(※「しょうしゃ」とは障害者の意味とお母さんが自ら説明していた)
「そりゃ、飛んでいきたかった・・・。けど息子を信じている」とお母さんは語っていたように記憶している。
帰宅後、上の子から様子を聞き、次に下の息子に「お前は皆から『しょうしゃ』と言われてるのか」と聞いた。息子は「そうだ」という。また、いじめられてる事もはじめて語ったらしい。親は気がついていたが暴力もふるわれているという事も改めて判明。
まず、お母さんは息子に向かって「おまえ『しょうしゃ』の漢字が書けるか」と聞いた。その時、お母さんは「うちの息子は漢字だけは得意で」と少し嬉しそうに語っていたのを覚えている。そして「しょうしゃ」についての息子さんの返答は「『勝者』と書く」と答えたという。
その後、お母さんは「やられたらやりかえせ。ただし人に向かって頭は絶対だめ。男の子は玉、女の子は顔・胸・お尻は絶対駄目」と言ったらしいが、息子は「わかってるよ〜」的な返事であり、お母さん曰く「本当にわかっているのかあやしかったけどね・・・・」と苦笑いをしていた。
私は注文品を食べ終わり、話もキリがよさそうなタイミングで会計を済まして立ち去ろうとした時、おかみさんが「変な話でごめんね。またゆっくり来てね。いつもは明るい店だから」と言われた。私は返す言葉が思い浮かばず、「美味しかったです。絶対また来ます」と答えて立ち去った。(本当に中々美味しく、また食べに行きたい店である)
とある街のカウンターだけの小さな店である。客は私と常連客らしき二人組のみ。そしておかみさんは私にも聞こえるかのように話をしていた。いや、仮にヒソヒソ話をしたくても無理な店である。だが、おかみさんは堂堂と誇らしげに息子の話をしていた。
「しょうしゃ」というのは障害者の略ではなく「勝者」の意。
本人は考えて言った訳ではないと思うが、格好いい息子ではないか。
そして「息子を信じる」という言葉。素敵なお母さんだ。
確かにこのお母さんのやり方に賛否両論があると思う。しかし、今回はそういう事を私は書きたいのではないのは理解していただきたい。あくまで「しょうしゃ」という事に対してなのだ。
そして「息子を信じる」という言葉である。
「しょうしゃ」とは「障害者」の略ではなく「勝者」と書く。まさしくその通りだ。
私にその強さの1/10があれば少しは違っていたかもしれない。そして「信じている」といってくれる人がいれば少しは違っていたのかもしれない。
気がつけば私の目の前に置かれている器の汁が少し薄まっていた。
だが話を進める上でどうしても必要だと判断した事を御理解いただきたい。
では本題に入ろう。
時期も場所も伏せる。
見知らぬ人同士の会話が耳に入った。
そのお母さんには二人の子供がいる。1人が小学生の男の子、1人が高校生。
上の子は健常者であるが下の子は親自ら「障害を持つ子供」と親が語っている。今回の主人公はその障害を持つ息子が主人公だ。
上記のお母さんとある人は障害を持つ子供に対しての学校教育について語っていたようだ。その中で「健常者と障害のあるお子さんが一緒に学ぶ事はいじめもありうる。その時、学校は出来る限りの対処はするが、完全ではない」的な話があったみたいである。
また、息子が「健常者が通う普通の学校に通っている」事。ただしその学校に通わせるための条件として毎日「送り迎え必須」他いくつか条件を提示されたようである。
上記の伏線の流れ後、話は下の息子がが毎日イジメにあっているという話になった。服が汚れて帰ってくる。暗い顔をして帰ってくる等兆候はあったらしい。しかし子供は何も言わない。親も敢えて口にせず様子を見ていた。
ある日の事だ、息子の送り迎えで親が用事があり、上の子が迎えに行った。丁度お迎えの時間頃、上の子が1本の電話をかけてきた。「弟がいじめれている。『しょうしゃ』とののしられている。どうすればいいか」的な内容が泣きながらかかってきたという。。そしてお母さんは答えた。「ほっときなさい。子供には子供の世界がある。学校の門の中は子供の世界だ。」と答える。(※「しょうしゃ」とは障害者の意味とお母さんが自ら説明していた)
「そりゃ、飛んでいきたかった・・・。けど息子を信じている」とお母さんは語っていたように記憶している。
帰宅後、上の子から様子を聞き、次に下の息子に「お前は皆から『しょうしゃ』と言われてるのか」と聞いた。息子は「そうだ」という。また、いじめられてる事もはじめて語ったらしい。親は気がついていたが暴力もふるわれているという事も改めて判明。
まず、お母さんは息子に向かって「おまえ『しょうしゃ』の漢字が書けるか」と聞いた。その時、お母さんは「うちの息子は漢字だけは得意で」と少し嬉しそうに語っていたのを覚えている。そして「しょうしゃ」についての息子さんの返答は「『勝者』と書く」と答えたという。
その後、お母さんは「やられたらやりかえせ。ただし人に向かって頭は絶対だめ。男の子は玉、女の子は顔・胸・お尻は絶対駄目」と言ったらしいが、息子は「わかってるよ〜」的な返事であり、お母さん曰く「本当にわかっているのかあやしかったけどね・・・・」と苦笑いをしていた。
私は注文品を食べ終わり、話もキリがよさそうなタイミングで会計を済まして立ち去ろうとした時、おかみさんが「変な話でごめんね。またゆっくり来てね。いつもは明るい店だから」と言われた。私は返す言葉が思い浮かばず、「美味しかったです。絶対また来ます」と答えて立ち去った。(本当に中々美味しく、また食べに行きたい店である)
とある街のカウンターだけの小さな店である。客は私と常連客らしき二人組のみ。そしておかみさんは私にも聞こえるかのように話をしていた。いや、仮にヒソヒソ話をしたくても無理な店である。だが、おかみさんは堂堂と誇らしげに息子の話をしていた。
「しょうしゃ」というのは障害者の略ではなく「勝者」の意。
本人は考えて言った訳ではないと思うが、格好いい息子ではないか。
そして「息子を信じる」という言葉。素敵なお母さんだ。
確かにこのお母さんのやり方に賛否両論があると思う。しかし、今回はそういう事を私は書きたいのではないのは理解していただきたい。あくまで「しょうしゃ」という事に対してなのだ。
そして「息子を信じる」という言葉である。
「しょうしゃ」とは「障害者」の略ではなく「勝者」と書く。まさしくその通りだ。
私にその強さの1/10があれば少しは違っていたかもしれない。そして「信じている」といってくれる人がいれば少しは違っていたのかもしれない。
気がつけば私の目の前に置かれている器の汁が少し薄まっていた。
生れくる人への名付け
yahoo知恵袋で唖然とする質問内容を見つけた。
あれこれ詳細書くより先に読んでもらった方がいいと思う。子供の名付けに関してだ。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1264946582
子供がいる友人にこの話したら「ありえない」の一言。正直、子供はいないが私も同感である。全てがあり得ない。
まず、順序でいけば犬が可愛そう。犬は彼氏の代わりではない。犬という1匹の生き物なのになぜ同じ名前をつけるのか。それを許した元婚約者も寛大だとは思うが、多分まんざらでもなかったのかもしれない。次に元婚約者→犬と続いた名前を更に継承したいというのが分からない。更には今、新しい人と新しい生命の誕生に何故過去が出てくるのかわからないと私は思った。
更には付き合ってるお前もお前だと言いたくなった。命を大切にしたいのはわかるが、母親側の名付けは子供が気の毒であるし、まずは親を入れて話し合えよ。しかし気になる事もある。相談者の父親がベストアンサーの回答に選んだ「出生証明書」を奥さんに黙って違う名前で出す方法。この方法を仮にとった場合、奥さんはその子供に愛情を持てるのか・・・。
下手すりゃ子供が捨てられるのではないのかと頭をよぎった。
この子は本当にこの夫婦に「一人の新たな人格の誕生の認識と存在」を必要とされてるのか疑問に感じしてしまった。

この話を私が持ち出したのをきっかけに友人と名前の話になった。やはり今は本当に変わった名前が多いらしい。友人が現実に目にした名前として「苺(いちご)」「煮物」(にもの)、「きてぃちゃん(漢字不明)というのがあったそうだ。ちなみにどちらも敬称略。男女どちらか不明。
ただ、呼ぶ側としては「にものくん(ちゃん)」「きてぃちゃん ちゃん(くん)」「いちごちゃん(くん)」と呼ぶのはいささか抵抗が無きにしも非ず。
しかし、一生付き合う名前だ。親もそれなりに理由があったのだろうと思われる。例えば・・・「煮物ちゃん」は煮物のように長時間煮る事で味わい深くなるのを人生にたとえたのかもしれない。人生を重ねていくうちに味わい深い人という意味かもしれない。また「苺ちゃん」は草冠に母と書く。草の大地の母のように豊饒な土壌をあらわしているのではないだろうか。「きてぃちゃん ちゃん」については長年の国民的愛されキャラクターにあやかり「誰からも愛される可愛い子」なってほしいという願いかもしれない。
そう考えれば少しは抵抗なく呼べるのだろうか。
しかし、名前の由来なんて中々話す機会もないからね。。。。

私の本名の名前は変わっている。多分、日本に同じ読みと漢字の組み合わせはないと思われる。読み自体は時々ある読み。漢字も一般的によく見かける漢字。しかし問題は「アテ字」なのだ。今までの人生の中で私の名前の漢字を読めた人はたった2人だけ。しかしそれもゴロ的に辿りついた半分あてずっぽうな感じだ。ちなみに私には弟がいるが、やはり同じようによくある名前と漢字であるが、アテ字である。(私と弟の名前は小学校で習う)
それ故に名前を書くと「珍しい」「よい名前だ」とお世辞でも仰って下さる方が大半であるが、「読めない名前を・・・」と名付けについて常識を疑う方もいらっしゃる。本人とその親に関してだから露骨に言われた事も少ないが実際にあった。これに関しては「読めない事、あて字を使う」という事についての否定的な意見であり、幸い漢字その物と名前の読みだけでみるなら問題ないと言われたのであるが、やはり複雑な心境ではあった。
私自身は「あて字」については現在でもそんなに問題視していないが、やはり一般的には読める漢字の方が相手にも気を使わせないですむだろうし、人によって名前を間違えられて不愉快になるのならそういったリスクは減るわけだ。
私と弟の名前の漢字には名付けた理由と由来があると聞いている。その理由も知っている。弟はどう感じているか知らないが、私は今の名前の漢字と由来から察しても真剣につけてくれたのだろう捉えている。自分では変だとも思わないし、名前はそれなりに気にいっている。別に変えたいと思わない。
(ただ、だから親と仲が良いとかのコメントは勘弁してください。最初とその後では大きく変わる出来事があるのです。)

名前は本人が選べない非常に難しい問題だ。その制度の是非は別として。
現状は一生本人の好き嫌いに関わらず必ず必要とするものだ。やはり迂闊につけないでほしいと思うし、また、一生懸命考えたが名付け親が後から後悔する場合もあるだろう。なので「本人の意思が固ければ改名出来る制度」があっていいと思う。
きっと将来、改名率があがる気がします。。。
あれこれ詳細書くより先に読んでもらった方がいいと思う。子供の名付けに関してだ。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1264946582
子供がいる友人にこの話したら「ありえない」の一言。正直、子供はいないが私も同感である。全てがあり得ない。
まず、順序でいけば犬が可愛そう。犬は彼氏の代わりではない。犬という1匹の生き物なのになぜ同じ名前をつけるのか。それを許した元婚約者も寛大だとは思うが、多分まんざらでもなかったのかもしれない。次に元婚約者→犬と続いた名前を更に継承したいというのが分からない。更には今、新しい人と新しい生命の誕生に何故過去が出てくるのかわからないと私は思った。
更には付き合ってるお前もお前だと言いたくなった。命を大切にしたいのはわかるが、母親側の名付けは子供が気の毒であるし、まずは親を入れて話し合えよ。しかし気になる事もある。相談者の父親がベストアンサーの回答に選んだ「出生証明書」を奥さんに黙って違う名前で出す方法。この方法を仮にとった場合、奥さんはその子供に愛情を持てるのか・・・。
下手すりゃ子供が捨てられるのではないのかと頭をよぎった。
この子は本当にこの夫婦に「一人の新たな人格の誕生の認識と存在」を必要とされてるのか疑問に感じしてしまった。
この話を私が持ち出したのをきっかけに友人と名前の話になった。やはり今は本当に変わった名前が多いらしい。友人が現実に目にした名前として「苺(いちご)」「煮物」(にもの)、「きてぃちゃん(漢字不明)というのがあったそうだ。ちなみにどちらも敬称略。男女どちらか不明。
ただ、呼ぶ側としては「にものくん(ちゃん)」「きてぃちゃん ちゃん(くん)」「いちごちゃん(くん)」と呼ぶのはいささか抵抗が無きにしも非ず。
しかし、一生付き合う名前だ。親もそれなりに理由があったのだろうと思われる。例えば・・・「煮物ちゃん」は煮物のように長時間煮る事で味わい深くなるのを人生にたとえたのかもしれない。人生を重ねていくうちに味わい深い人という意味かもしれない。また「苺ちゃん」は草冠に母と書く。草の大地の母のように豊饒な土壌をあらわしているのではないだろうか。「きてぃちゃん ちゃん」については長年の国民的愛されキャラクターにあやかり「誰からも愛される可愛い子」なってほしいという願いかもしれない。
そう考えれば少しは抵抗なく呼べるのだろうか。
しかし、名前の由来なんて中々話す機会もないからね。。。。

私の本名の名前は変わっている。多分、日本に同じ読みと漢字の組み合わせはないと思われる。読み自体は時々ある読み。漢字も一般的によく見かける漢字。しかし問題は「アテ字」なのだ。今までの人生の中で私の名前の漢字を読めた人はたった2人だけ。しかしそれもゴロ的に辿りついた半分あてずっぽうな感じだ。ちなみに私には弟がいるが、やはり同じようによくある名前と漢字であるが、アテ字である。(私と弟の名前は小学校で習う)
それ故に名前を書くと「珍しい」「よい名前だ」とお世辞でも仰って下さる方が大半であるが、「読めない名前を・・・」と名付けについて常識を疑う方もいらっしゃる。本人とその親に関してだから露骨に言われた事も少ないが実際にあった。これに関しては「読めない事、あて字を使う」という事についての否定的な意見であり、幸い漢字その物と名前の読みだけでみるなら問題ないと言われたのであるが、やはり複雑な心境ではあった。
私自身は「あて字」については現在でもそんなに問題視していないが、やはり一般的には読める漢字の方が相手にも気を使わせないですむだろうし、人によって名前を間違えられて不愉快になるのならそういったリスクは減るわけだ。
私と弟の名前の漢字には名付けた理由と由来があると聞いている。その理由も知っている。弟はどう感じているか知らないが、私は今の名前の漢字と由来から察しても真剣につけてくれたのだろう捉えている。自分では変だとも思わないし、名前はそれなりに気にいっている。別に変えたいと思わない。
(ただ、だから親と仲が良いとかのコメントは勘弁してください。最初とその後では大きく変わる出来事があるのです。)

名前は本人が選べない非常に難しい問題だ。その制度の是非は別として。
現状は一生本人の好き嫌いに関わらず必ず必要とするものだ。やはり迂闊につけないでほしいと思うし、また、一生懸命考えたが名付け親が後から後悔する場合もあるだろう。なので「本人の意思が固ければ改名出来る制度」があっていいと思う。
きっと将来、改名率があがる気がします。。。
地図
恥ずかしながら・・・・地図が読めん。回さないと読めない。まぁ、回して読めるならまだマシだと言われるが、やはり回さずにパッとわかればいいなと思う。
10年以上前でしたか、「話を聞かない男、地図が読めない女」という本がベストセラーになった記憶がある。中身を読んでないが、あのタイトルを読んだ瞬間、「ああ、世の中には意外に沢山の女性が地図を苦手としているのかもしれない」と勝手に解釈をして勇気づけられた記憶がある(爆)
ちなみに読んだ「地図が読めない女性代表クラス(自称)」の友人によれば「なかなかは的を得た本だ」という事であった。(私は読んでいない)
数ヶ月前に遡る。地図で印象に残る事があった。
ある1年に1回の大イベントがあった。会場は複数に点在しており、私のお目当てはその中の一つであった。しかし私の目当ての会場の建物はネットでいくら調べても検索出来ず、詳しい場所がどうしてもわからない。仕方ないので私はメイン会場へとりあえず向かって道を聞くことにした。
駅から徒歩10分ちょっと。メイン会場にたどり着く。会場内に私の目的地が記載されている手書き地図が壁に貼ってあった。しかし・・・この地図は私にとってみずらい事この上なかった。
仕方なく案内人の人に聞いてみるが、よくわらかず・・・まぁ、とりあえず行ってみる。しかし現地にたどり着けず、違う人に聞いてカンでやっとたどり着いた次第だ。
問題点をまとめてみよう
1、「地図に方位が書いてない」ことだ。
これは恐らく上が北だと思うのだが・・・。
2、「わかりやすい目印の記載がない」
JRの駅からメイン会場までおよそ1キロ程度なのに駅の記載がない。メイン会場とサブ(私の目的地)と有名?な井戸の名前の3点だけ書いてあり他には目印らしきものが無かった。(観光地の公園とか、大きな建物とか、周囲には沢山の目印になりうると思うものがあるのだが・・・)
3「説明の問題」
これはいくつかある。まず小さな地図でもいいから詳細な地図を用意してほしかった。そして私のように地図を回さないとわからない人間でもわかるように地図を回して説明出来るようにしてほしかった。(これは観光案内所なんかではよく、相手に方角を合わせて説明してくれますが、それと同じですね)
次、「目印となる建物について」だ。これも最悪だった。「お店を左に」と言われた。回りは住宅街ですぐわかるとの返事。しかし・・・実際にはわからなかった。目的地の店は定休日なのかシャッターを下していた。店の看板も一切出ていない。普通の家の一部を店にした感じであり、シャッターは車庫かな?という感じでもある。確かに「店」と言われればそうであるが、判別しにくいと感じた。
十字路の曲がり角には長年使われている空き地、防火水槽だかもあった。どうせならそちらも一緒に説明してくれれば(地図に載せてくれれば)よいのにと思った。
感じた事は以上だ。
行ってみればなにも非常に簡単な道である。もし、ネットで住所がわかって地図を見ておけばあっさり解決していたであろう問題であった。なのに何故こんなに迷ってしまったのか・・・。知らない街でも大抵観光案内所で地図をもらってふらふら街歩きをするが、これほど迷うのは珍しい。それもこんな簡単な道で道も聞いてるのにだ。
やはり一番の原因は「唯一の目印」として言われた店であろう。向かいの空き地や防火水槽ではなく看板も出てない店と言われてしまい、必死に店を探してその場所を通り過ぎてしまったのだ。それが一番の原因だと思う。
自分が人に道案内をする時は極力わかりやすくしようと思った日であり、観光案内所の人達は「地図を相手の立ち位置と現在の方角に合わせて地図を回す」ということを当たり前のようにやっているが、そのありがたみを改めて知った日であった。
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